2017年8月19日土曜日

「多数決」は「正しさ」や「民主主義」を担保するものではない。



「国民投票」「住民投票」について語るときに、「多数決」が問題に上がることがある。まず言えることは、民主主義においての決定は多数決によるものがほとんどである。
全員が一致するまで議論をする時間があれば、理想なのだが、どこかで区切って決めなければならないときに、一人一票で「多数決」以上に平等な決め方がないからである。


多数による決定は「正しさ」を伴うとは限らない。イギリスのEU離脱や大阪市の「特別区設置」が否決されたことも、それが正しかったかはわからない。ただその時に、過半数の票を獲得したのはEU離脱であり、特別区設置反対であった。

「多数決」は「正しさ」を担保するものではない。


「多数決」は「民主主義」を担保するものでもない。民主的に選ばれた議員の過半数が賛成であっても、国民を納得させることができないのであれば、もしくは国会での審議がきちんと行われなければ「多数決」であっても「民主主義」であるとは言えない。


「多数決」が「民意」であるとは言えない。「多数決」と言っても、どのようなルールで多数決を取るかによって、得られる結果(いわゆる民意)が変わってしまうからである。


国民投票は多数決を伴うが、その本質は国民が直接決定権を持つことにある。それにより、国民は情報を得て、議論、決定し、投票によって意見を表明し、そしてその結果に責任を持つようになる。

国民投票は多数決の結果ではなく、その前後が大切なのだ。

どのような多数決を採用するか、どのようなルールで運用するのか。他の国ではどんなテーマでどのように「国民投票」「住民投票」が活用されたのか。明日8月20日は国立でお話しさせていただきます。

http://www.oshibakentaro.com/2017/07/810.html