2012年9月1日土曜日

100歳の僕から24歳の僕に宛てた手紙



2年前に書いた文章が出てきました。

今となっては内容が違ってきている話もありますが
何も編集せずにアップしたいと思います。

 
郵便箱

100歳の僕から24歳の僕に宛てた手紙

24歳の健太郎へ。

健太郎よ!最高に笑まくった100年間だったぞ。
ハッハッハーーー!!
不思議と大病もせずにもうこの年じゃ。

さてさて、
なんでこんな手紙を書こうと思ったかと言うとだな、理由は二つある。

一つ目はお前の一番の夢だった日本の自給率100%がようやく達成できたんだ!市民レベルで地産地消を促していって、耕作放棄地を次々と再生させ、家庭菜園がいまや常識になってきた。食べ物の輸入も市民一人一人がみんなで声をあげて、国レベルで少しずつ減らしていったんじゃ。
それは、お前がこれから全国を回って少しずつ仲間を集めて立ち上げる「チーム100%」の力がとっても大きかったんだぞ。仲間を集めたっていうよりは、集まっていったと言うほうが正しいのかな。今では10,000人を超える日本を代表する環境、農業団体の一つになってるぞ。今はそこから退いているけど、今夜はその「チーム100%」の宴じゃ。日本の食べ物のために俺の意思を受け継いで、第一線で頑張ってきてくれた仲間がうちにやってくる。これから、うちの広場で大きな焚火を囲んで、酒を飲んで、料理して、踊って歌うのだ。食べるのだ。笑うのだ。

この溢れんばかりの喜びをだな。24歳のどこに進んだら良いのかわからなかったお前にどうしても伝えたかったんじゃ。

そしてもう一つ。もともと手紙を書いてやろうと思ってたんだ。それはだな、
お前は大学を卒業して「好きなことだけしかしないで生きていく」とか言って
フリーターになっちゃうから自分や、周りを少し不安にさせちゃっただろ。
でもそんなつまらん不安を取り除いてやろうと思って、いつか手紙を書こうと思っていたんだ。
「お前は大丈夫だ。今のまま、自分の心に一番に耳を傾けて、生きていけばいいんだよ。自分を許して、友達を許して、社会を許すんだよ。そうすれば、お金も仲間もシンプルな生活も自然と集まって成り立っていくから心配いらないよ。自信を持ってやりたいことをやりたいようにやればいいんだよ。」

他にも今の健太郎に伝えたいことがたくさんあるからちょっと長いけど読んでほしい。この手紙が俺の人生の最後の仕事かもしれないな。笑いすぎて少し疲れてしまった。眠い時には我慢しないで寝る。24歳の時もそうだったな。ただ今回は少し長い眠りにつく気がするんよ。

俺は100年間愛と自由と平和に恵まれて本当に幸せだった。
それは何事にも感謝を忘れなかったからだよ。

俺は今、たくさんの田んぼと、大きな畑に囲まれた家に住んでるよ。
この家もみんなで一から建てたんだよな。あれは楽しかった。

結婚して、子どもも大きくなって、孫もひ孫もいる。
妻もまだまだ元気だ。この年になっても二人でイチャイチャしてるぞ。

今日もうちの畑や田んぼで子どもから、90歳のおじいちゃんまで、ホームレスだった人や、虐待にあった子ども、引きこもりだった子、旅人や、社長、そして僕の大切な仲間も、みんな一緒になって作業してるんよ。

ここあるのは、シンプルに生きていくために最低限必要な
「食べ物」「自然」「仲間」だけ。
だけど、僕はこの「食べ物」「自然」「仲間」を一番愛しているし、大切にしているんだ。そしてそれ以外のモノはほとんど手放してしまってる。そしてそれが一番の幸せなことに気づいたんだ。

そうそう。お前は「おいしいライフメッセンジャー」として、これからどうなっていくか。雑誌や、新聞に少しずつだけどたくさん書かせてもらえるようになっていった。その後、本を出す話も出て、ラジオやテレビにも出させてもらって、おいしいライフを伝えていったね。講演や、学校への食育にも、呼んでもらったね。イベントのアドバイスとかも、たくさんさせてもらったね。自分でも農業ツアー組んだり、イベントもやっていったね。こういう一つ一つで仲間を集めていって、想いを伝えていって。その繰り返しが地産地消の流れを生み出し、伝える人が増えていったんだ。そしてお前の作った「チーム100%」の組織作りが今までの一人のお前の力ではなくて、皆で伝えていけるようになっていたんだよね。

20114月全国47都道府県を一か月ずつ周る旅。リヤカー押してつなぎで出発した。4年の計画が少し伸びたけど細かいことは気にすんな。時代の大きな流れを感じながら、自分の小さな気持ちの変化を敏感に察知して行動していくようになっていく。



海外で過ごした生活もいい経験になったな。
カナダ、ベトナム、中国、ドイツ、インド、イタリア…数え切れないな。
あっピースボートにも乗ったな。

自転車や、キックボード、リヤカーなどで日本中、世界中いろいろ旅した。
ネタになるようなことはたくさん起こったけど、なぜか大きな事故には巻き込まれなかったな。本当に俺は運が良いみたいだ。

運がいいと言えば宝くじにもあたったな。
いくらだったか覚えてないけど結構な額だったよ。
定職にもつかず。
大きなお金や、小さなお金、たくさん頂いてきた。
本当にありがたいことだ。

そして、そのたくさんのお金を1円も無駄に消費することなく
自分が良いと思うものには惜しまずに使って投資していたね。
それは24歳の時からずっとそうだったか笑

あとお前の性欲はどうにかならなかったのか??
50代まではSEXばっかりしまくってたな。
思いつく限り全てのSEXをした後、行きついたのは
Slow SEX」だったぞ。今はピンと来てないかもしれないけどな。

憲法9条が変わりそうになった時はびっくりしたな。
あの時は俺も本気になって活動したね。あの9条が変わりそうになったおかげで日本が一つになったんだ。そして考えた。「僕たちの平和はただ授かったものじゃない。今を生きる僕たちがまた日々作っていくものなのだ。」

俺はなんでもかんでも忘れていくから、今書いているブログと中学から書きためている日記が自伝とか本を出すときにすげー役に立つんだ。大切にするんだよ。あと、お世話になった先生方や先輩。友達にいっぱいいっぱい会いに行ったんだ。そこでは自分では忘れているエピソードとかも聞けて楽しいし、何よりみんなお前に会いたいと思ってくれてるんだ。なるべく早く会いに行くんよ。

お前が末国さんの岡山や、てんつくマンのワンフェスで植えたたくさんの木はとっても大きくなっているよ。そして今も成長中だ。そして、未来の子どもたちのためになってる。100歳になっても心は24歳のお前と何も変わってない。やっぱり未来と関わっていきたいんだ。子や孫、仲間、木の成長が何よりも嬉しいんだ。

24歳の時、やりたいこといろいろ言っていたな。
ワンピース
21世紀少年
ドラゴンボール
バガボンド
も全部読んだ。

自分で作りたいって言ってた。
日本酒も焼酎もワインやビールも作ったね。
納豆も味噌も豆腐も作ったね。

お医者さんにはなるべく行かないようにした。
薬をもらわないように、気をつけていったのも
自分の生命力を下げずに、100歳まで生きられた秘訣かもしれないね。

「超就活セミナー」のパネラーにもやっと呼んでもらって嬉しかった。
自分の枠を広げてもらったセミナーで恩返しさせてもらえたのは本当にうれしかった。

友達の誕生日会や結婚式にはなるべくたくさん参加させてもらって
たーくさん祝わせてもらったね。

「ありがとう」「おめでとう」「おいしい」「嬉しい」「楽しい」「幸せ」…
お前の周りにはいつも素敵な言葉があふれていたな。

 100歳の健太郎より。

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