2014年11月20日木曜日

素顔のチェンジメーカーたち@ウルズラ・スラーデク

【非公式】 このブログの内容はアショカとは直接関係ありません。
アショカの企画をまねて個人的に書いているものですので、何かありましたら、連絡フォームから直接連絡ください。

社会の問題解決につながるアイデアを実現し、事業化していく社会起業家、チェンジメーカー。米国人のビル・ドレイトン氏が率いる市民組織アショカは、そうした社会に変革を起こすチェンジメーカー達(アショカ・フェロー)を世界中で探し出し、スタッフとフェローが一体となって社会変革の規模と速度を加速するために活動している。本連載ではそんなチェンジメーカー達の素顔や活動内容を、随時レポートする。



Ursula Sladek ウルズラ・スラーデク

1946年 ドイツMülheim am Mein生まれ。大学では初等中等教育を学ぶ。5人の子を持つ母。環境のノーベル賞とも呼ばれているゴールドマン環境賞を2011年に受賞、2013年にはドイツ環境賞を受賞。2014年まで電力会社「シェーナウ電力」の経営責任者として再生可能エネルギーの普及を担った。アショカフェロー選出は2008年。

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事故が起こるまで原発のことを真剣に考えたことがなかった


1977年、ウルズラは一家でドイツ南西部Schwarzwald(シュバルツバルト:黒い森の意)の広大な樹林帯にある人口2500人のシェーナウ市に移り住んだ。3人の男の子と2人の女の子にも恵まれ、専業主婦として忙しいながら平穏な日々を送っていた。しかし1986年転機が訪れる。絶対に起こらないとされていた原子力発電所の事故がチェルノブイリで起こってしまい、2000キロ離れたシェーナウにも放射性物質が飛来してきた。事故当初はその影響がよくわからなかったのだが、子どもを外で遊ばせることや、庭の野菜を食べることができなくなることを知り震撼した。ウルズラは問題意識を持った地元の親たちと「原発のない未来のための親の会」を立ち上げる。当時を振り返り「正直言うと、事故が起こるまで、原発について真剣に考えたことなんてなかった」と語る。福島の原発事故が起こるまで日本人の大半も、そうだったのではないだろうか。


シェーナウ市

しかし実際に原発をやめるためにはどうしたらいいのか。ウルズラは 「原子力や環境問題について何の知識もありませんでした。けれど知りたい一心で、一生懸命勉強しました。そして、エネルギーの無駄遣いが大きな原因だとわかりました。」と話す。こまめに電気を消したり、鍋を温める時にふたをしたりすることによって思いのほか節電できることを知り、親の会で市民に節電を呼びかける動きを始めた。「スイッチを切ろう、そして楽しもう」を合い言葉に1988年から省エネコンテストを開催し参加者の平均で20%、中には半分近く節電した人もいた。地元の商店や工業界の協力により、最も節電した人にはイタリアへのバス旅行など豪華な賞品が送られることや、省エネに取り組むことによって電気代を減らすことができ、興味を持つ人が増えた。「省エネなどのちょっとした工夫が、世の中を変える第一歩だと気づいた」とウルズラは言う。

こういった活動と同時にエネルギー法の改正に向けて、議員に手紙を書いたり、当時の首都であるボンへ陳情に何度も行ったが、法改正の気配はまったくなかった。
「ウルズラたちは挫折を味わった。しかし仲間たちと話し合い、考えた。どうして失敗したんだろう、何が悪かったのだろう。そして気がついた。やり方が間違っていたのだ。ただ政府に訴えて、法律を変更してもらうことで世界が変わることを期待していたのだ。他力本願では、世界は変わらない。「もう一度やろう。別のやり方で取り組もう」と再び立ち上がった。」(「市民がつくった電力会社」 田口理穂 P44)

誰かに任せず自分たちにできることから取り組もう

ウルズラは自宅を事務所として「分散型エネルギー設備団体」を設立し、再生可能エネルギーやコジェネレーションシステムというエネルギー効率の良い装置を導入の促進するとともに、出資者を募り市民が自らの手でエネルギーを供給するというシステムを始めることになる。また、彼女たちは地元の電力市場を独占しているラインフェルデン電力会社(KWR)に「脱原発」「エコ電力の買い取り価格引き上げ」「節電を促す電気料金プラン」の3つの要求した。しかし、他の電力会社を選ぶ余地のないこの地域では、KWRは自ずと強気になる。彼女達の要求は冷たくあしらわれてしまった。

そんなKWRのシェーナウ市との電気事業者契約が、4年後にいったん切れる。ウルズラ達の活動を警戒したKWRは、4年間、前倒しして更新が行われた場合、市に10万マルク(約500万円)を提供するという魅力的な提案を持ちかけた。反対派住民は、彼らに代わって市に同額を渡せるよう、わずか数週間で集めきってみせた。だが市議会では市長と保守政党が賛成にまわり、前倒しで契約することが決まってしまう。しかし反対派は諦めることなく、住民投票を要請。最終的には住民投票によって決められることになった。
ウルズラ達ら反対派は、有権者に関心を持ってもらい理解を得るために、Tシャツを作ったり、チラシを配ったり、バンドを組んで自分たちの想いをビートルズの曲にのせて伝えた。一方、前倒し契約に賛成のKWR側は「もし、電力網が住民側に渡れば、シェーナウの明かりは消え、仕事はなくなるだろう」と不安をあおる。住民は賛成・反対に分かれ、家庭や市議会の中だけでなく、町のいたる所で「電力議論」がなさることになった。そして1991年10月27日、住民投票の結果は反対派が55.7%で賛成派を上回り、前倒し契約は取り消さることとなった。


シェーナウのお年寄り達 人が集まればシェーナウの話をしていた。

負けられなかった2回目の住民投票

ウルズラたちは住民投票に勝利して、本格的に 電力会社を作るための事業に取り組み始める。KWRの代わりにシェーナウの電力をまかなえるのは私たちしかいない。しかし新しく電力会社を立ち上げるためには、技術的、金銭的、法律的な課題を契約が切れる4年後までに解決しなければならなかった。そこでウルズラ達は電力セミナーを企画して、多くを学び、また全国の支援者にも情報を発信し、励ましも受け、ついに住民発のシェーナウ電力会社(EWS)が誕生する。その翌年の1995年、シェーナウの今後の電力供給会社が、市議会で決定されることになった。議員の過半数はEWS側だ。「電力供給の認可契約をEWSと結ぶ」という議案に対し、賛成6、反対5でこの議案は可決される。しかしKWR側はあきらめない。「住民に信を問いたい」として、2度目の住民投票に持ち込んだ。

この時を振り返りウルズラは「住民投票をもう一回なんて、正直言って愕然としました。今回は前回のように簡単にはいかないとわかっていました。なぜなら今回は重大な決定の時であり、彼らも必死だったからです。仲間には勝つ見込みがあると言いましたが、自分自身も奮い立たせたかったのだと思います。」と笑う。

実際にこの住民投票には、前回に比べてお互い非常に力が入っていた。チラシは毎週両者から配布され、紙面上でも大いに議論が交わされた。KWR側は不安を駆りたてることに成功し、住民の中には「素人では、今までのように確実に電力を供給できないのでは?」と考える人もあらわれた。一票が結果を大きく左右するこの住民投票では、住民全員に働きかけることが重要である。EWS側は多くの人に集会場に来てもらおうと、民族音楽会、老人会、医師による講演会などを開催。オリジナルのロックミュージックも作った。持ち上がった企画を一つずつこなすと同時に、戸別訪問も精力的に行われた。住民は、忙しい中でも説明に来た人を家の中にまで招き入れ、熱心に話を聞いた。ウルズラは「あの頃シェーナウは、脱原発運動のシンボルのような存在になっていたので、私たちは敗北するわけにいかなかったんです。今回の住民投票も勝つためには持てる力を全て出し切る必要がありました。」と語る。

そして、ついに運命の投票日1996年3月10日がやってくる。投票率は国政選挙を大きく上回って約85%にまで達し、結果は僅差でEWS側が過半数を得た。結果を受けて歓喜に沸き抱擁し合うEWS側の市民。チェルノブイリ事故から10年、彼らの頬を伝う涙に、長かった道のりの苦労を物語っていた。

あとは電力網を手に入れるだけ。

しかし問題がまだ一つ残っていたのである。エネルギー供給の委託は市から受けているものの、電力網をまだ所有していなかったのだ。KWRはこの電力網に法外な値段をふっかけて、電力網を売らせないようにEWSが想定していた額の倍である4億5千万円を要求してきたのだ。ウルズラは「私たちは、世界で類を見ない住民投票で2回も勝利した住民の熱い信用を受けた電力会社です。しかし状況は以前と変わっていませんでした。」と憤った。もしこの金額を払ってしまえばEWSは営業を始める前に破産してしまう。かといって、法外な金額を是正するための裁判をやっている時間もない。そこでEWSは寄付によってまかなうと決めて、広告会社に無償でキャンペーンをお願いしたり、各地のイベントに参加して支援者を募った。この運動が功を奏して世代を超えて、また国を越えて多くの人を巻き込み、最終的に電力網買い取りにも成功する。

1997年から現在までシェーナウの電力網はEWSが管理している。収支面でも環境面でも順調で、電力供給は安定し、料金には競争力がある。そして、原子力・石油・石炭を全く使わないエコ電力を供給しているのだ。ドイツで再生可能エネルギーの固定買い取り価格買い取り制度が始まったのは2000年で、それから投資先として注目されるようにもなるのだが、シェーナウの活動はそれ以前からの「原子力のない未来」を目指しての活動の末であった。

今でこそ、ウルズラはEWSの経営者として栄えある賞をいくつも受賞して堂々とスピーチするをするような活動の顔になっているが、もともと彼女はどちらかというと引っ込み思案で物事を率先するタイプではないそうだ。しかし公の場で話をしなければならない時、誰も話したがる人がいなかったので仕方なく引き受けていた。そのうちに、いつの間にか彼女の担当になる。仲間内からは「あなたばっかり、注目を浴びて」と嫌みを言われたこともあったが、一度メディアに出始めると今度は指名されるようになっていったという。



シェーナウ電力事務所

筆者は、シェーナウ市民が住民投票の結果を尊重し、賛成派も反対派も共に歩んでいく姿に民主主義の成熟と、脱原発をなし得たその行動力に希望を感じ、2014年の春シェーナウに足を運んだ。実際に行ってみると本当に小さな町で半日もあれば市内を回ることができてしまう大きさ。黒い森に点在する他の町と一見変わりないようだが、気をつけて観察してみるとなるほど、屋根にはキラキラ光るたくさんの太陽光ソーラーパネル、山の上には風力発電の羽が風を受けて回っている。陽が落ちるとLEDの街灯が 道路を照らす。省エネに取り組みつつも周りの町よりも夜はずいぶんと明るい印象だ。

シェーナウ電力の事務所を訪ねると、ウルズラは非常に多忙ななかでもにこやかに私のことをあたたかく迎え、私のつたないドイツ語を気遣うように、ゆっくりと私の質問に応えてくれた。ウルズラ達は再生エネルギーの会社を設立し電力網を買い取り脱原発を成し遂げた。とても大変な道のりだったことは想像に難くないが、ここに至るまでで印象的なのは、 特別なことではなく誰でもできることをどんどん仕掛けていき、仲間をどんどん増やしていることだ。節電コンテストや250円からできる寄付活動、住民投票運動など。彼女自身も言っているように、誰か議員や法律に任せるのではなくて、楽しみながら、仲間と一緒に活動しているのである。「シェーナウ電力のように何かを大きなことを成し遂げるために必要なものは何だと思いますか?」とウルズラに尋ねると「大きな目標ではなく小さな目標を達成した時にお祝いすること。自分たちが楽しく事実に基づいた活動を続けていけば、雪だるまのように活動は大きくなっていくものよ。」と裏表のない自信に満ちた笑顔で応えてくれた。


シェーナウ電力の目指す3つの目標

シェーナウ電力の目標は3つだとウルズラは話す。
「全世界の原発を止めること」
「早急な自然エネルギーへの転換」
「世界の人たちに公平なエネルギーが行き渡ること」

これらは簡単に達成することは難しいし、何年もかかることは彼女も覚悟している。しかしそこで諦めるのではなく、その目標に向かって着実に前に進んでいる。人口2500人から始まった電力会社の取り組みは現在ではドイツ全土に15万人の顧客をもつ電力会社に成長し、家庭用のみならず当初は無理だと言われていた、企業向けにもドイツの大企業であるチョコレート会社の「リッタースポーツ」及び全国展開しているオーガニックスーパー「アルナチュア」などにも再生可能エネルギーを提供している。従業員の数も当初の3人から100人に上る。今では町で一番の納税企業になっている。またシェーナウ電力の取材のためにドイツのみならず世界中から多くの人が訪問することになり、レストランやホテル、市長も喜んでいるという。得た利益は溜め込むのではなく、新しい再生可能エネルギーに投資をしたりして、脱原発を早めるための潤滑油として活用している。シェーナウの活動は近隣の地方都市のみならず、ハンブルクやベルリンなどの大都市にも波及し電力網の自治化の議論を促し、ドイツの再生可能エネルギー市場を牽引している存在である。

ウルズラの日本へのインパクトとメッセージ

日本でも震災後、ウルズラ達の取り組みが大きく取り上げられるようになった。2008年に制作された彼女達の活動を20年間を追った「シェーナウの想い」というドキュメンタリー映画の日本語字幕版が2012年に完成。現在では日本各地で上映会が行われている。また同じく2012年には田口里穂著「市民が作った電力会社~シェーナウの草の根エネルギー革命~」、西尾漠監修の「原発をやめる100の理由: エコ電力で起業したドイツ・シェーナウ村と私たち」も出版された。また「反原発、環境保護、市民自治」をテーマにシェーナウ電力から送られる「電力の革命児」賞に今年、日本人3人が選ばれたことも記憶に新しい。そのうちの一人はシェーナウを手本にして福島県会津で発足された『会津自然エネルギー機構』を設立した佐藤弥右衛門(やうえもん)さんであった。

東日本震災後、ウルズラは日本に特別な想いを傾けている。「ここ、シェーナウではチェルノブイリの原発事故によって私たちは目覚め、活動を始めました。皆さんの国でも福島の悲惨な事故があり、日本のお父さんお母さんは、当時の私たちのように心配なさっていることと思います。今、原子力を終わらせるために戦わなければなりません。それにはいろんなやり方があるでしょう。政治家や電力会社を信じるのではなく、自分たちの力を信じるのよ」と話す。今年、ウルズラは年齢を理由に会社の経営を息子に引き継いだ。しかし彼女の活動や想いがそこで途切れる途切れる訳ではない。シェーナウから「日本の脱原発」にエールを送ってくれている人がいる。私たち日本人にできることは何だろうか。

参考:大月書店「市民がつくった電力会社」 田口理穂
   映画 「シェーナウの想い」 2008年制作
   シェーナウ電力HP http://www.ews-schoenau.de
文責:大芝健太郎