2015年2月19日木曜日

与那国1日目

石垣からフェリーに揺られて、4時間半。
与那国島の西の端、久部良港についた。

港から市街地に出るバスまでに少し時間がある。
港から見える西崎灯台に、最西端の碑があるということで船で出会った大学生と行くことにした。


二人で灯台までの道のりを歩いていると、草を食んでいる放し飼い?にされた馬が現れてびっくりした。興味があるので喜んで近づいていくのだが、動物園のように柵がないのでどこまでも近づくことができる。柵があればそこに寄りかかるようにしてギリギリまで近づこうとするのだが、柵がない状況では僕と馬は一対一。向こうはこちらを気にはしているようだが、恐れてはいないようだ。近づくにつれ、むしろ僕の方が恐ろしさを覚えるようになる。僕の好奇心は所詮柵に守られたものでしかなかった。

少し進むと、一台の車が寄せてきて「乗っていくか?」とおじさんが声をかけてくれた。港を出るときに「ヒッチハイクでもしてみる?」なんて二人で話していたので、引き寄せたのかと思うような偶然のお誘いに、二人で喜んで乗せてもらった。


高校卒業の時に買った、大きな日本地図と世界地図。
日本地図の行きたいところに一番に書き込んだのは、日本の端の4箇所。
その一つが与那国島だった。


この碑を前にして、昔インターネットで「この島」を検索した日を思い出した。
そして意図せずに当時の一つの思いがかなったことを知った。


時間通りにバスはやってきて20分ほどの道のりをひたすら走った。青い海と南国の植物に心踊り、賛成両派の幟やポスターなどにまた興奮した。いつからか僕は住民投票フリークになってしまっているようだ。






島には信号が二つしかないそうだが、その二つをバスの中で見つけて嬉しかったのと、探す楽しみがなくなってしまって、ちょっと残念な気持ちになったのもまた正直な気持ちだった。


租内という町の中心地について、
店を見つけてまず、新聞を買おうと思い、
「新聞ありますか?」と聞くと「ウルシンブンですか?」と聞き返された。
「ウルシンブン?」これは「売る新聞」のことだとはすぐに理解できたが、「売らない新聞があるのだろうか」と戸惑いを隠しきれなかった。「新聞を売っているところはありませんか?と聞くと「ないんじゃないかな。でも民宿とかそういうところなら読めると思うよ。」と教えてくれた。

大学生は宿に行き、僕は宿を探すためここで別れることになった。彼は1日観光して次の日には石垣島に帰るらしい。

さて、僕は宿を探さなくてはならない。目当てにしていた宿は予約がいっぱい。大学生のところにも空きはない。探し回りたいが、小さい島と言っても周囲は30km以上あるので移動するには足が必要だ。レンタカー屋が近くにあることが分かったので、レンタルの自転車のことなどを訪ねに行くと「キャンプ場がある」ということを教えてくれた。今日はどこも宿がいっぱいだということで、幕営料も500円、そこに泊まることにした。

市内を無料巡回バスが走っているが1日に7本しかない。そのバスがちょうど止まっていたので、キャンプ場に行くかについて尋ねると、さっき港から市内まで送ってくれたのバスを運転していたのと同じおじさんで「このバスはキャンプ場の方には行かないから、次のバスに乗れ」という、その言葉に続けて「さっき、これを忘れなかったか?」と三脚を手渡された。この三脚には見覚えがある。大学生が持っていたやつだ。次のバスまで少し時間があるので、彼の宿まで届けに行った。ロビーに彼と観光客らしき、おじさんがいた。おじさんは与那国に25回も旅行に来ていて今回の住民投票に関して聞くと、「僕たち外部の人たちはとやかく言うべきではない。この島に基地ができるわけだから彼らの選択を尊重するべき」と答えた。「とやかく言わない」これが彼にとってのこの島への愛の形なのだろう。

次のバスというのは、その日の最終バスだった。キャンプ場が変なところでももう後戻りはできない。この追い込まれている感じは嫌いではないが、不安も少しあった。

島は起伏が激しく子ども遊園地のジェットコースターくらいの高低差がある。「自転車で島を周ろうと思います」と言うとみんな口を揃えて「やめたほうがいい」という理由もわかってきた。

移動の疲れとバスの心地よい揺れでウトウトしているとキャンプ場のある比川地区に着いた。そこには「共同売店」というミニスーパーがあったので、キャンプ場の情報を聞くために訪ねてみた。するとここからの行き方や管理人がいないようなので、キャンプ場の使い方などまで丁寧に教えてくれた。ふと横に目をやるとなんと「売る新聞」を発見して残りの一部を購入。この共同売店には新聞を置いているということで、毎日新聞の取り置きをお願いすることにした。

八重山毎日新聞 17日の一面。


住民投票のことなど聞きたかったのだが、日が暮れるまでに場所を確認しておかなければならない。「場所を確認してまた帰ってきます」と告げて店を出た。

キャンプ場まではスーパーから歩いて3分ほど。海の音と風の音が気持ちいい芝生の綺麗なところだった。ここは日本で最も西の島。日が暮れるのも遅い。2月だが18時を過ぎていたがまだ明るくて助かった。そこで荷物の整理をしていると、スーパーで会った女性が「寒いと思うから」ということでテントと寝袋を持ってきてくれた。僕はどこでも寝られるようにと寝袋はいつも持ち歩いているが、テントを持ってきてくれたことはとても助かった。テントがあるだけで夜の熟睡度が全然違う。テントをありがたくお借りして、設営し共同売店に夕ご飯を調達に戻った。



僕が「住民投票を取材している」と紹介すると、そこの売店の方が「急遽、住民投票について考える集まりを今晩やることになったから来ないか?」というありがたいお誘いをいただいたので、二つ返事でそこに参加させていただくことにした。集まっていた方たちは長く基地建設に反対してきており、これからの最後の5日間をどう戦うのかについて議論を重ねていた。みんな基地に反対する理由も違う、ここに住む理由も違う、職業も違う人たちが自治について考え、解りやすく情報を提供するにはどうしたらいいのか。結果がどうなるのか想像ができないが、島の未来のために何ができるのかが議論されていた。

夜の21時頃、島の防災警報が鳴った。迷い人だ。老人が家を出たまま帰らないというのは僕の地元でもよくあることで特段珍しいことではなく、気にも留めない。話を進めようとすると、集まったみんなが一斉に静かになって耳をそばだてて放送を聞いている。一人は放送をよく聞くために家を出た。迷い人の名前も放送されると「○○のおばーだ。」「どうしたんだろう」「心配だ」と異なる口から言葉が漏れる。そのうちお酒を飲んでいなかった一人は「探しに行ってくる」とバイクに乗って出ていった。「迷い人」の放送がここまで重要な意味を持つという1500人の町のコミュニティに衝撃に近い驚きがあった。

その日集まっていた10人近くの人の中に中学生も一人いた。今回の投票に「戸惑い」と「期待」の気持ちが両方あるという。友達と今回の基地建設について議論をするのかを聞くと「あまりしない」のだという。そういう話を避けるような雰囲気はあるかというと、「そんなことはない。○○とかはそういう話を持ち出したりもする。」という。いろんなメディアが中学生をめがけてインタビューしてくるのでそれには辟易しているという話もリアルな声だった。

ただ、どのメディアでもやはり中学生の投票権には注目している。これを機に若者と一緒に政治について考え、決定するという土壌が固まっていくことを望んでやまない。

パクチーのサラダ、立派なエビフライ、泡盛までご馳走になって結局、夜1時までお邪魔してしまった。

曇っていて月もないキャンプ場までの道は文字通り真っ暗だったが、時折、灯台の光が闇を照らした。


関連ニュース

沖縄タイムス
与那国 期日前始まる 陸自配備賛否の住民投票
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=103695

47NEWS(よんななニュース)
【Q&A 住民投票】 政策の賛否、直接問う 陸上自衛隊配備で実施の与那国町、中学生以上投票可
http://www.47news.jp/47topics/e/262136.php

琉球新報
<社説>与那国住民投票 島の将来見据えた選択を
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-239041-storytopic-11.html

八重山毎日
【陸自住民投票】きょうから期日前投票
http://www.y-mainichi.co.jp/news/26855/

イソバの会
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