2015年2月6日金曜日

道徳の教科化が生み出すもの。

道徳教科化へ指導要領改訂案 いじめ対応など6項目追加 - 朝日新聞デジタル http://t.asahi.com/h6po

道徳を学校で評価するなんて、信じられない。

人間は「正しさ」や「命令」で動くロボットではない。

「嘘をついてはいけない」
「他人を傷つけてはいけない」
「国や故郷を愛する気持ちを持とう」
「親や先生を敬おう」
「自分の命を大切にしよう」

このような標語を掲げられているだけでも、ある種の気持ち悪さを感じるのだが、
これらが、どれだけ達成されているのか評価しようなんて人間をなんだと思っているのでしょうか。

こんな教育を受けたいと思いますか?
というか大人はこれらを守れているのでしょうか?

標語は「正しい」かもしれませんが、簡単に割り切れるものではありません。

「嘘をついてはいけない」けど…嘘をついてしまうのはなぜでしょうか。
ミスをひどく責められるような環境にいないでしょうか。
ありのままの自分を受け入れられているでしょうか。

目上の人に当たるのはなぜでしょうか。
躾が足りないからでしょうか。

これらの標語を「問い直す」ことこそ教育には必要です。
必要なのは間違っても「評価」ではありません。


人間はロボットではないので納得しなければ動けません。
納得していないのに「正しさ」や「命令」に従って動くときには、ストレスが溜まります。
ストレスは自分や他人を傷つけます。


人間は「本能」によって生きる動物であり、同時に「理性」を持っています。
ロボットにどれだけプログラミングされてるかを評価するような道徳ではなく、
「本能」と「理性」をどう折り合いをつけて生きていくかを個々人に問い直すような、
そんな道徳が理想だと考えます。

人間に本来備わっている「本能」と「理性」を軽視して、
「正しさ」や「服従」を測る道徳の「評価」は何も生み出さないどころか、
自他を傷つける害になるということです。