2015年3月11日水曜日

3.11 震災から4年。福島とフクシマの今。

「幸せの発信地に」 福島の海岸で祈りの集い 鎮魂と復興を願う - 産経ニュース http://www.sankei.com/life/news/150307/lif1503070043-n1.html


3月11日を前にいつもお世話になっている方から「福島県に取材に行かないか」というお誘いがあり、すぐに日程を調整して、同行させていただくことにした。

福島県いわき市四倉で被災者、支援者がともに津波の押し寄せた海岸に立ち、日の出とともに黙祷を捧げ、「ふるさと」を全員で合唱するという「福島を忘れない!祈りの集い」が開かれた。

パラパラと小雨が降り、海風も冷たく早朝にもかかわらず、おおよそ800人くらいの参加者がいただろうか。沈痛な面持ちの人もいれば、久しぶりの再会らしき人たちとにこやかに話しをする人たちもいる。1時間弱のプログラムを終えると、受付でもらったビニール袋に砂浜のゴミを拾って、めいめいに帰っていった。

その後、僕らは場所を変えて、福島で活動を続ける方々のインタビューの収録を終え、仕事はとりあえずひと段落した。




「もっと北上してみる?」
昨晩から寝ずに走ってきたので、起きているだけでも辛かったのだが、予想もしていなかった言葉に一瞬凍りついて目が覚めた。もう1時間ほど車を走らせれば、双葉町、浪江町、飯舘村に行くことができる。震災後、怖くて、恐ろしくて足を踏み入れたくなかった場所。テレビや、新聞だけで目にしていた場所。そして避けていた場所…。被曝は覚悟しなければならないが、僕は行くことにした。不謹慎だが好奇心があった。今「フクシマ」はどうなっているのか。どうもなっていないのか。




国道6号線を一路北に向かった。この道は去年9月に通行止めが解除されたばかりで、車のみ通行可能で自転車、歩行者は許されていない。車の場合も窓を閉めて通行しなければならない。津波の被害で一階がボロボロで中が見えるような状態で放置されている家が多い中、不自然に綺麗な新築の家がポツンと建っていたりする。ところどころ除染された土などが積み上げられていたり、「除染作業中」と書いてある派手なピンク色の幟がはためくのも見える。

帰宅困難区域に入ると、道路に面した家の門にはバリケードが設置されていて中に入れないようになっている。当然、店はどこも閉まっていて、4年の月日を感じ、ゴーストタウンと化している。

震災から「時が止まったまま」という表現とはまた違う。普通の廃墟とは違う。なんだか生気が薄れてきているような。風化してきているような。4年という時の長さを感じるとともに「復興」から取り残されてしまっている現実を目の当たりにした。いつか辞めさせられた大臣は「死の町」と表現したが、僕も同じように感じる。

帰宅困難区域で、唯一賑わっていたコンビニ。工事関係の車両や「いわき」ナンバーの乗用車が何台も止まっていた。一時帰宅が許されている町民であろうか。

6号線を北上していると見たことのある景色が不意に飛び込んできた。僕は震災の半年前、たまたま双葉町に訪れていた。友達と一緒に訪れて、浜辺で相撲をして、土手に座ってお昼ご飯を食べ、蜂蜜の収穫をした。懐かしさとともに、もう二度と戻らない時間を思う。当時4,5日滞在しただけでもそんな気持ちにかられる。



「原子力 明るい未来の エネルギー」
この標語を今、どのように受け止めたらいいのだろうか。この看板を「管理できない」という安全面から撤去しようという計画が進んでいる。しかしこの標語を作った方は「修繕して、原発を考えるきっかけにするために残しておくべきだ」と語っていると、今日の新聞に載っていた。

この看板のすぐ横に、体育館があって、そこは原発災害の避難所にも指定されていたが、天井が崩れていて使われた気配もない。そもそも当の原発に近すぎて、本当に事故があった時には使えない。というお粗末なものだ。

もし浜岡原発や柏崎刈羽原発に事故があったら僕はどこにどうやって逃げようか。僕は震災後、ほとんどエレベーターに乗らなくなった。「乗っている時にもしも大きな地震が起こったら閉じ込められたりしないだろうか。」もちろん地震も想定された設計になっているが、なるべくリスクは低くしておきたい。とりあえず、遠くへ逃げよう。北か西か、SPEEDIは公表されるのだろうか。


福島と「フクシマ」を分けて考える。

当時は福島というだけで反射的にアレルギーのように放射能の影響を心配していた。今でも「福島県産」とだけ書かれているだけでは、やはり買い控えしてしまう。いくら「基準値を下回っていて安全」と流布されていても、やはりリスクの高いものより低い「他県産」を選びたくなってしまう。でも実際に重要なのはどれだけ汚染されているのかを、きちんと計測し、明記されることだ。そうすればどの程度なら許容できるかを個々人で考えることができるようになるだろう。実際に福島県は米を全量全袋検査をしていて、値もしっかり公表されている。この数値を高いと見るか低いと見るかは、これもまた個々人の判断だが、検査されていないところの米はどのくらい汚染されているかもわからない。全量全袋検査を行っているのは福島県だけである。逆に他の地域の米は汚染されている米が出回っている可能性も否定できない。



「フクシマ」
米国による原爆で世界で唯一の被爆国である「ヒロシマ」「ナガサキ」を抱える日本が、今度は自国の原子力発電所で「フクシマ」を被曝させてしまった。事故はまだ、首相の言うようにアンダーコントロール(管理下)に置かれているわけではないし、被曝を伴う廃炉作業は今後も30年、40年と続く。

事故後、多くの人が放射能の影響に不安を抱えながらも「私の住んでいる地域は大丈夫」と思い聞かせて、自分を支えて生きている。いわきなら大丈夫。会津なら大丈夫。東京なら大丈夫。関西なら大丈夫。沖縄なら大丈夫。日本から離れたから大丈夫。大丈夫。大丈夫…


「誰か大丈夫だって言って。」
「風評被害になるから危ないって言わないで」
不安や心配の言葉を発することによって「困ってもない人を困らせてしまう」のは心が痛む。しかし、誰かに大丈夫だと言ってもらったところで実際の放射能の被害は無くならないし、「危ない」という人が黙ったところで、きちんと検査した数値が明記されなければ信頼を回復するのは難しい。

電気は他の方法でも作れる。それなのになぜこのような大惨事が起こる可能性のあるロシアンルーレットのような命がけの発電を続けなければならないのだろうか。昨日、東京電力の担当者に「原発をもう二度と動かさないでほしい。」と改めて電話で申請した。変わるかどうかわからないけど、とにかく何もせずにはいられない。日本に二度と帰れない「ふるさと」を作りたくない。そして見えない放射線に怯えて生きていきたくない。


今日の朝、気仙沼でお世話になったホテル望洋の社長と女将さん、そして友達の映像がテレビで流れていた。切り取られた一面だってわかってはいるけれど、元気そうで嬉しくなった。また会いに行きたいと思っていながらもう3年半も経ってしまった。