2016年8月20日土曜日

次の日はポーランド人に起こされた。

リトアニア人に起こされた次の日の夜。
寝ていたら今度はポーランド人に起こされて、
「大丈夫か?仕事も住むところも紹介してやる。とにかくついてこい。」と。
彼は夜中までの仕事が終わり、
家に帰る途中でぼくをみつけ、
声をかけてくれたのだ。

「ボストンは危ない町だ。外で寝るなら俺はシェルターを知っている」と言う。
そして連れてきてもらったのは、アパートのゴミ置場だった。

彼は「ここなら暖かいし、雨も心配ない」と教えてくれた。
写真の壊れたドアをすり抜けたところが小部屋になっている。


誰かが寝ていた痕跡がある。冬だったらとてもここは外で寝られるような環境じゃない。シェルターとして使われていたのだろう。あまりの寒さに、中で寝ていた人が外の壁紙を剥がして床に敷いたのだろう。

「問題ないから中で寝ろ」と彼は推した。
でもぼくはこの中に入ることは頑なに拒否した。

彼は悪い人ではないと思っていたが、もし万が一そこで何かされたら、
逃げられないし、誰からも目につかないからだ。
それに彼は1人だったのも少し警戒した。何も持たぬもののふりをした。
彼の前では携帯もカメラも一切出さなかった。
ここにある写真は全部、彼が去ってから撮影したものである。

ぼくは「ありがとう。」と丁寧に言った。
そして彼は
「明日の朝5時(2時間後)にまた起きて仕事に行かなくてはならない。でも仕事が終わったら時間があるから君の何か手伝いできると思う。14時にここで待ち合わせをしよう。」
と言って自分の家に帰って行った。ぼくはまたお礼を行った。

彼は持っていたビールを一本くれた。ポーランドのビールだという。
それを飲みながら1人考えた。



彼は英語が不自由で、言葉は直接的で高圧的だったが、
最後まで、ぼくを助けようとしてくれた。

「リトアニア人は特に危ない」と彼は言った。
ぼくは「昨日はリトアニア人に助けてもらった、ビールをご馳走してくれて、
そのあと一緒に遊んだ」と言った。
彼は「ふーん」と気のない返事をした。


別れるまで彼は何度も言った。
「ぼくは強い。だからここでもやっていける。
そしてもっと強くならなければならない。
君ももっと強くならなければいけない。」
彼のいる世界はそれほど過酷な環境なのだ。
そして圧倒的弱者(に見える)のぼくを全力で助けてくれた。

リトアニア人も、ポーランド人も優しいのだが、それぞれが自分たちの生きる場所を守るために必死だ。言葉の壁も文化の壁も、ここではそれが仕事や生活に結びついている。

ぼくはビールを飲み終えると、そのシェルターを出て、
また適当なベンチで、軽く眠った。

次の日。「14時にシェルターにおいで」と言われたので、
別に何かしてもらうつもりでもないが、
彼にぼくを待たせてしまうのは申し訳ないので
シェルターに行ったが、彼はおらず、
14時半まで待っても現れなかった。

旅先の口約束はこんなもんだ。
でもありがとう。ポーランド人の彼。