2016年8月22日月曜日

世界の国民投票を見てきて日本について、今思うこと。

ベルリン電力の電力再自治化を問う住民投票


リトアニア、ブルガリア、ベルリン、スイス、スコットランド、イギリス
日本では大阪の都構想を問うもの、与那国島の自衛隊配備の是非を住民投票、伊賀市の市庁舎建て替えを問う住民投票、

政府のプロパガンダや、デマの拡散、国民の分断、誤った情報を元にした投票、
低投票率など。

現在、日本で取りざたされている国民投票で心配されていることは全て起こると思って間違いない。


詳しくは以下の投稿より。
イギリスの国民投票を巡る日本の報道のレベルの低さ

心配されている事態は起こる。
しかし問題があるからといって
即、国民投票を否定すべきではない。
それに備える準備は今から可能なのだから、
問題を軽減するためにエネルギーを注ぐべきである。



「国民はメディアに騙されやすい」
「国民は短期的な利益しか考えられない」
「国民はバカだ」

しかしそれでも国民投票で重要なことは決めるべき。
それはなぜか、それは主権者は議員ではなく、専門家でもなく、
メディアでもなく市民であり国民だから。

この結論に至るには以下のスイス人の学生へのインタビューが心に残っている。

「直接民主主義は完璧ではないので、間違った選択をしてしまうのもしょうがない。でも間違った選択をしてしまう可能性があるからと言って直接民主主義を否定する理由にはならない。時には失望しそうな結果になることもあるけれど、直接民主主義をやめた方がいいと思ったことはない。なぜかというと、議員だって間違える可能性があるから。法律は国民全員の気持ちをきちんと表す必要がある。だから国民投票が必要なのだ。」



スコットランドの「独立」をかけた住民投票から2年
独立は果たされなかったものの、彼らは自分たちで独立するべきか否かを決める力があることを知っているし、しかもその力を「感じて」いる。

日本では今年の夏の参議院選挙で憲法改正の発議が争点の一つになったが、
憲法を変えるか、変えないか、それが市民、国民の一票にかかっているということを感じられているだろうか。知っているのと感じているのは大きく違う。

自民党の改憲案は到底、看過できないが、
憲法を変えるか、変えないか、
それは一度、国民投票にかけられるべきだ。

国民投票にかけられてこそ、自分たちが選んでこそ、
憲法が尊いものなのか、そして脆いものなのか感じることができる。
憲法が自分たちのものであることを「感じる」ことができるのではないか。

今の日本に必要なのは、
「発議させない運動」ではなく、
いかに現憲法が重要かを説き、
「現憲法を選び直すための運動」である。