2017年1月25日水曜日

ニュージーランドで30回も行われたアルコール政策を問う国民投票


https://nzhistory.govt.nz/files/styles/fullsize/public/images/kiwi-caged.jpg?itok=OIQDjG1A 


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ニュージーランド(1894年〜1987年)アルコール政策
ニュージーランドでは徴兵制、選挙システム、体罰は犯罪とすべきか、新国旗の制定など、2017年までに44件が国民投票にかけられている。政府が提案する憲法改正の国民投票もあれば、有権者の10%の署名による国民発議の国民投票もある。中でも1894年から1987年にかけて、アルコール政策について30回も行われており、ニュージーランドで行われた国民投票の約2/3がアルコール政策についてである。何度も国民に問われたアルコール政策には、どのような背景があったのだろうか。

禁酒運動の幕開けニュージーランドの禁酒運動は19世紀に欧米諸国からの入植者によってもたらされ、社会改善や道徳立て直し運動の一環として広まっていった。アルコールは貧困、病気、女性や子どもの放置、不道徳と無気力などの原因とされ、特に農業や漁業、工場での仕事を求めて渡り歩く人たちにおいて顕著な問題だった。当時の主な死亡理由は「飲み過ぎ、溺死、もしくは飲み過ぎによる溺死」と揶揄されるほどであった。そんな中、教会を中心に禁酒を目指す団体が1820年代からニュージーランド西部、特にプロテスタントの州で組織され始めた。19世紀後半、教会では積極的に集会などを行い、支持者に「酒を飲まない」と誓約書にサインをさせた。禁酒は徐々に全国に広がり、多くの禁酒団体が設立され、酒は健全な社会の敵だとみなされるようになっていった。

運動の隆盛1880年代に禁酒運動は大きく発展した。1886年に禁酒団体は国レベルの同盟を結成し、地域のネットワークを固め、禁酒のための教材を配布した。キリスト教禁酒女性同盟は1885年に設立された。特に女性は家や、家族を養うために、男性に依存するところが多かったため、酒を飲む男性によって一番悪い影響を受けていた。そして、この同盟はニュージーランドの女性選挙権獲得にも大きな影響を及ぼした。

自由党政府の苦渋の決断、国民投票
禁酒団体は、国民投票で法律を変更し禁酒できるよう働きかけた。禁酒を促す意見は政党の枠を超えて議論を呼び、特に与党である自由党の内部で意見が分かれ、政府にとってかなり厄介な問題になった。1893年首相のリチャード・セドンは「3年ごとの投票によって、各地域がアルコール免許の数を減らしたり、完全に禁酒できる」という新しいアルコール販売規制の法律を制定した。しかしこの禁酒には、過半数の投票率と有効投票総数の60%の賛成が必要と規定した。この高いハードルに禁酒支持者から不満があったが、同年ニュージーランドでは世界初の女性参政権が認められ、女性は禁酒を支持するだろうという追い風もあった。


熾烈を極めるキャンペーン1894年の初めて行われた国民投票の投票率は低かったが、1986年から選挙の日に投票が行われることになると75%前後の高い投票率となった…



(略)
新刊「国民投票の総て」で詳しく解説いたします。


日本の女性参政権は1945年からだが、すでにニュージーランドではその半世紀ほど前から女性参政権が、禁酒を求める国民投票から始まっていた。この後、第一次世界大戦、アメリカの全面禁酒、世界恐慌など揺れ動く情勢と1987年まで行われた国民投票の関係について、本書で解説していく。



参考
http://www.elections.org.nz/voting-system/referenda
https://nzhistory.govt.nz/politics/temperance-movement
http://www.teara.govt.nz/en/referendums


ちなみに女性参政権といえば、今月末から上映されるイギリスの女性参政権をテーマにしたこの映画がとても楽しみ。私の大好きなメリル・ストリープも出演している。